よしなしごと

V6に関する言いたいことを言ったり言わなかったりします

戸惑いの惑星、覚書

 前売券も当日券も手に入らず、スケジュールも合わずで散々嘆き散らし、身内にもフォロワーさんにも気を遣わせた挙句、どうにか通じた当日券キャンセル待ちのお電話を頼りに行ってまいりました、東京グローブ座。結果としては下手側3階席で観劇できました。無理やり予定をこじ開けてくれた上の人、本当にありがとう。明日からもがんばります。

 

 ということで、忘れないうちにこのエネルギーを文面に残しておこうということで、思い出したことからどんどん書きなぐっていこうと思います。すごい舞台だった。すごかったなぁ。なんも消化しきれてないぞ。そんな文章です。また数日経って消化してから書いてみても面白いかもね、ということで本文です。(ヒメアノ~ルのときもそんなこと言ってたな)

 


!注意
 以下、舞台の内容を多く含んでおります。舞台を見て生まれうる感情すらも知らない方が楽しめるのでは、と思いますので、所々で言われてはおりますが、これから観劇予定の方はお気をつけください。

 

★全体の感想として
 舞台を観終えて、情報量という意味でも、エネルギーという意味でも、とにかく舞台空間の密度がとても大きくて、いい意味で疲労度がすごいです。気がつけば溜息をついていて、口から出てくるのは「すごかったね」か「疲れたね」のどちらか、という時間が割と長いこと続きました。すごいぞ、としか言えない。こんなことを気軽に言ったらトニセンファン及びカミセンファンのお姉様方に怒られてしまうかもしれませんが、私はとにかくトニセンの楽曲の大ファンでして。カミセンの楽曲は、若かりしカミセンと被ったり、メロディが私の心の青春の部分を揺さぶってきたりといった形で非常に好きだし、流れ出したら奇声を発する自信がありますが、一方で楽曲自体で好きな曲が多いのは実はトニセンでして。それはもう本当に単純に好みの問題で、楽曲それ自体もそうだし、トニセンの歌声も大好きなんですね。だからこそ今回のTTTのチケットを手に入れられないことにあれほどまでに凹んでいた訳ですが、それは置いておいて。このような前提の上で、感想を続けます。

 

★音圧で泣きそうになる
 今回の舞台を観ていて泣きそうになった場面、というと難しいのですが、局所的に泣きそうになったところというのが大まかに3つありまして。3つめはストーリーとして必然的な涙だったのですが、この1つめが私にとっては新しい感覚でした。
 序盤で管楽器を吹いた後に歌ったオリジナル曲、あれはすごかったですね。あの後の舞台の雰囲気を決定した気もしています。そもそも曲調が好みだったというのもありますが、その音圧というか、声の圧というか、これはどの曲においても言えますが、とにかく3人のユニゾンのもつパワーやエネルギーが尋常じゃなく、心臓を直接ガツンと揺さぶられました。あれはすごい。心臓を揺さぶられるというのはよく聞く表現ですが、比喩ではなく、あの瞬間私の心臓は確実に揺さぶられていました。泣くような歌でも歌詞でも場面でもないのに、ボロっと泣きました。誰にもバレなくてよかったです本当に。何より、この後にも触れることになると思いますが、井ノ原快彦がすごかった。本当にすごかったです。もっともっとたくさんの舞台に出ているところをみせてほしい。生きている限り歌い続けてほしい。この人がトニセンに、V6にいるということがどれほど素晴らしいことか、と唸りました。よかった。井ノ原くんがトニセンにいて本当によかった。すごいぞこの人。当たり前のことだけれども、こんな序盤の曲でも彼はちゃんと長谷川で、長谷川の歌声ってどの曲も泣きそうになるんですよね。この時点ではストーリーなんて全く分からないけど、長谷川は最初から最後まで彼の感情で歌を歌っていて、なんでこんなに寂しそうなのか分からないのに、それがちゃんとこっちの胸に届くんです。うわ、悲しいって。だからこその涙でもあったのかな、と思います。

 

★井ノ原快彦のこと
 一つ前でも触れましたが、井ノ原快彦はすごいぞ。ということです。偉そうな言い方になってしまって恐縮ですが、逸材としか言いようがない。唯一無二だ!舞台界はもっと井ノ原くんをたくさん使ってくれよ。すごいぞこの人!この人が持ってる独特の空気!儚さ!井ノ原くんを明るいキャラクターとして役に起用することが愚かな行為なのではないかと疑いそうになるほどに素晴らしかった!いやあそこまでサバサバ爽やかな明るさを出せるということもこれまた稀少だと思うので、明るい役でもガンガン起用してほしいけど!!貪欲!!
 長野くんも坂本くんもとっっってもよかったです。長野くんのロングトーンの力強さやギャグシーンでの間の絶妙さ、最高でした。あと由利、めちゃくちゃ好きです。いい役だった〜。長野くん研究者の役似合うなぁ。あのまともそうなのに急にネジ外れるところとか理系的な頭のおかしさとか、とても好きだった。
坂本くんは流石の歌唱力とミュージカル力というか、貫禄がすごかった。舞台に立つために生まれてきた人だな、と感じました。イキイキしているというか。あ、ここに立つことが坂本くんの人生なんだ、と思うほどにしっくりきたというか。席の関係で由利のママをやっている坂本くんを観れなかったのが残念でなりません。面白かっただろうな。
 席の関係といえば、三池が彼女からの手紙を読むシーンの長谷川の表情、上手側からは見えているんだろうな、みてみたいな、と思いましたね。背中しか見えない、というのが良かったというのは勿論なのですが。そもそもそういう演出だろうし、背中しか見えないからこそとても悲しくて、でもあのとき長谷川はどんな顔をしてたんだろう、と、ついつい想いを馳せてしまう。見たいような、このまま見ないでいたいような。大好きなシーンです。
 話が脱線しましたね。いやー本当に、つまりは井ノ原くんが物凄かったんですよ。前半の長谷川の出番は主に、1人で語りながら三池と出会うまでのくだりと、手紙代行の仕事をしているくだりだと思うのですが、この二つのシーンがとても素敵で。ずっと、春のはじめに吹く風が、レースのカーテンを揺らしているような感じがあって、長谷川には常に儚さがあったんです。あぁ、折れてしまうよ、とか、消えてしまうのではないか、とか、ずっと半透明だったんですよね、長谷川は。だからこそ、彼の語りではなくなって心情が分からなくなってしまった後半は、出てくる度にまるで幽霊のようで、不可思議でうっすら恐怖すら覚えそうになる、でも行かないでって引き止めたくなるような、このままどこかへ行ってしまいそうな、つなぎとめておかなきゃって思うような存在になるんですね、きっと。
 長谷川の感情って、長谷川自身はほとんど表現しないのに、脳内にドッと流れ込んでくるというか。長谷川は表情にも話し方にも、言葉にだって彼の根っこの感情をあまり表に出さないのに、あとの2人の口から語られる長谷川と、長谷川の佇まいで全てわかってしまうというか。いや、分かった気になってるだけかもしれないというのは置いておいて。佇まいだけで全部表現してたように感じて、うわーって思いました。それと反して、歌がすごい。自分が希薄になっていく中で、歌う長谷川は長谷川100%に思えて。長谷川の叫びとか、慟哭とか、消えかかって僅かになってしまった彼の部分を全て振り絞っているように聞こえて、歌の度に泣きそうでした。嘘です泣きました。それが井ノ原快彦すげぇよって話に繋がるわけですが。
 いやもうすごいです。チンケな言い方になってしまうけれど、魂、なんですよね。命削って歌っているようというか、自分の中にある全ての力を振り絞って口から吐き出しているようというか。あんな歌を歌える人、私は知らないです。すごい。本当にすごかった。付加感情なしに歌声で泣く、なんて、初めての体験。いやぁもう、すごい人だ。言葉にできない。いつも感情と言葉にはもどかしさばかり覚えていますが、こんなにももどかしいのははじめてです。いつかしっくりくる素晴らしい言葉に巡り会えることを願っています。
 あとはもう単純に、教授役すごかったなぁ。練習したのかな。当たり前だけど声は井ノ原くんで、なのに1度も井ノ原くんにならなかった。声を変えてお芝居するときって何かの拍子に素の声や喋り方が垣間見えてしまうものなのに、すごいなぁと思いました。引き出しすごい。

 

★楽曲について
 曲の使い方、すごかったですね。何よりもうわっ!と思ったのはオレじゃなきゃ、キミじゃなきゃですかね。うわーこんな使い方するか!と思いました。手紙代行の仕事をする長谷川の「オレじゃなきゃ、キミじゃなきゃ」は痺れましたね!イメージが変わった曲ナンバーワンな気がしています。楽曲についてはいずれまた書けたらいいな。

 

★ストーリーについて
 3人の会話から舞台が始まっていくのって案外珍しくはないというか、お客さんがするっと物語に入り込めるので時たま使われる演出だとは思うのですが、それにしてもあの入り方はゾクッとしました。自分が誰か分からなくなるのが井ノ原くんというところがやっぱりすごいなぁ。ストーリー全体の設定もすごくて、キャラ設定すら何も知らずに行ったので、「自分喪失症」(?うろ覚えですみません)という設定を冒頭で知ったあとに「手紙代行」の仕事をすると聞いて一気に鳥肌が立ちました。うわ、それで自分を失っていくのかと悟ってしまって。それはなんだかとても井ノ原くんという人に添っている気がして、井ノ原くん自身がもし本当にその仕事をしたとしてもきっとそうはならないだろうと思うのですが、井ノ原くんが纏う空気とか、どこか儚く見える、なんだろうな、目とかかな。何故か井ノ原くんという人は、そうやって、たくさんの人が自分の中に入り込んできて自分が分からなくなってしまうという役に、とても当て嵌っているように感じたんですよね。もう、手紙代行という言葉を聞いた瞬間に泣きそうでした。泣いたかも。わからないですけれども。初っ端から、すごいぞこれは、最高の舞台だなと思いました。
 あとは、多分わざとそういう演出なのかなと思うのですが、最後3人の未来がほとんど見えなかったので、ここで終わり!?と思いましたね。語弊を恐れずに言うならば消化不良というか。どんな絵だったのかなぁ。長谷川が三池の絵をみてこれは僕だと言ったのは、なんだったんだろう。自分を思い出し始める第1歩なのか、それとも阿修羅だったのか。3人の先にあるのは希望だったのか絶望だったのか。希望だったと思いたいけどなぁ。

 

追記(2017.12.21):後からあの絵は白紙だったと聞きました。私にとっての戸惑いの惑星は、あの絵の中身が見えなかったということを演出として受け取ったので、やっぱりあの絵は阿修羅だったかもしれないし希望だったのかもしれないという感想からは変わらないですが、白紙だったということも心の隅に留めておきたいと思います。これが僕だ(うろ覚えですが)という言葉と、私が観た日の長谷川の表情や声色だと、前向きな意味に受け取りたいな、と感じました。いろんな人の感情が入ってきて、まるで落書きのようにいろんな色でベタベタに塗られてしまっているようだったであろう長谷川が白紙にリセットされて、長谷川の人生と心を、ここからまた新しく自分の色で描いていくのかなと思いました。映像化ありがとうございます。

 

 

★最後に

 長々と失礼致しました。いやー、すごい舞台だった。温度も高くて。オリジナル曲、まっすぐ胸に届いて、漠然とがんばろう、と思いました。トニセンの曲って、そういうイメージがありますね。まっすぐに浸透してくれる。明日に繋がる。そんなイメージがあります。
 ということで、またいつか頭の整理がついたら推敲なり加筆なりしたいなぁと思ってはいますが、ヒメアノ~ルのときも同じことを言ってやらなかったのでこれきりかもしれない。何にせよ、素敵で無敵な舞台でしたよ、ということで。
 あ、私の感想や舞台自体に対して、何かしら抱えていて発散できないパッションがありましたら、コメントしてくださったら私も一緒に盛り上がりますので是非に。あ、大丈夫かとは思いますが批判とかは胸に秘めたままでお願いします。

何はともあれ、こんな素敵な舞台をみることができて本当に幸せでした。あー、好きだな、トニセン。

(2017.02.04)

 

★追記①坂本昌行について
 坂本くん、やっぱりすごかったです。存在感がある。「井ノ原快彦について」でも言いましたが、舞台に立つ坂本昌行は、その時点でまず一つの人格が形成されているのかも、というか、とにかく自信があるように見えるんですよね。これもまた上手い表現が見つかりません。堂々としていて、あの場所が彼のホームなのだな、と思いました。あそこが坂本くんの最も輝ける場所なんだ、と。貫禄がものすごい。
 三池は根拠のない自信を口にして言い聞かせることで、不安や絶望を押し殺しているような人で、ガサツで粗暴なように見えるけど、お人好しで繊細で、そしてちょっぴりビビりで。若い頃の坂本くんっぽいのかもしれないけれど、今の坂本くんにしかできない役なんだろうな、と思いました。扉を開ける開けないのシーンの三池好きだったなぁ。現実でもお芝居でも、え?え?え?ってなってる坂本さんは素敵ですね。
 あとはやっぱり歌声が。音源のような安定感と高音の伸びと、ロングトーンの美しさと、いやぁやっぱりすごい人だ、と思いました。ミュージカルスターだ。3人のユニゾンのエネルギーを、土台で支えるのが井ノ原くんの低音なら、それをどこまでも伸ばして遠いところまで届けるのが坂本くん、という感じ。この2人の力強く、ともすれば反発してもおかしくないほどに確固とした歌声を、ふわっとまとめあげて花(華というよりは、花です)を添えてくれるのが長野くんですね。最高の3人だ。坂本くんはちぎれた翼の歌い方が好きでして、初めて生で聴くことが出来てとても幸せでした。あの、喉をチューブみたいにして口の中で低音を響かせるような歌い方、本当にかっこいいです。あとなんの曲だったかな、Sing!かな、坂本くんの上ハモ、あのいつもの最高の上ハモ本くんでしたね…。あのkEEP oN.のラスサビのような上ハモ…気持ちいいですね。そう、最後のDahliaだったかな?長野くん上ハモ、坂本くんメロディライン、井ノ原くん下ハモ(恐らく)のコーラスとてもドキドキしました。素敵だったー。
 あと、やっぱり坂本くんのギャグセンス、最高だなぁ。間が天才的。トニセン全体に言えることでもあるけれど。手紙代行を頼みにきたヤーさんっぽい人、めちゃくちゃ好きでした。あの低いところでゴロゴロ鳴ってるみたいな声、心地いいなぁ。さすがリーダー、熱い男、似合いますね。
(2017.02.05)

剛担による『ビニールの城』所感

※ネタバレを大いに含みます

 驚くほどに進まないので、まとまったら書き足していく方式で参ります。ので、これからガンガン書き足されていくと思いますが悪しからず。

 感じたことを感じたままに、"抽象的なまま"を心がけておりますので雰囲気で感じとってください。抽象的なものに対する議論も大好きなので気になって夜も眠れないような表現がありましたらどうぞTwitterなどでお気軽にお声をおかけください。

 

■はじめに
8/9、2階立ち見、上手側
8/23、中2階上手側端の方
 で、計2回観てまいりました。立ち見の方は上手側3分の1程が見えず、今思えばあまり物語に入り込む事はできていなかったかもしれません。まあ立ち見だし、1回目だったので空気感を感じつつエネルギーを感じつつといった感じ。今日行きました中2階のお席は少し乗り出せば大体全体を見ることができるぐらいの位置で、且つ舞台がとても近いという、席運が死ぬほど悪い私にとっては神席とも言えるほど。勿論乗り出しはしませんでしたが。すごかったのは、森田剛の表情の芝居を見れたことと、その口からその声が発せられている様子を肉眼で見れたこと。それだけであっという間に物語に入り込めました。これだけ近いというのに、立ち見のときよりずっと、目の前にいる人が森田剛であるということを忘れていました。
 と、ここまでは皆さんに向けて。これから先は思ったこと感じたことをだらだらと書いていく独り言のようなものになりますので敬語はなくなります。

 

 

〜ビニールの城のこと〜
■言葉について

※台詞などは『悲劇喜劇』(早川書房,2016年9月号)より
 唐作品を観るのは初めてだったため知識は皆無で、アングラもほとんど観ないため、アングラとはどういうものだといったことも全く知らない。そのため当たり前だと思われることも言うかもしれないが、寛大な心で受け流して欲しい。ビニールの城単体で見たときの所感を書き綴っていく。
 ビニールの城は言葉遊びが多いなという印象を受けた。言葉遊びというか、遊びみたいに軽快で妙な面白い言い回しというか。例えば、分かりやすいのはカミヤ・バーでの引田と朝顔の会話。
「話がとり込んでいるので。」
「でも、雨は降っていませんから。」
「え?」
「べつに、あわてて、取り込まなくてもいいんじゃないでしょうか。過去の洗濯物は。」
このような言葉遊びと、文章からも伝わる淡々とした言葉のリズムはどこかシュールに掛け合わされて、独特な空気感を作り出しているように思う。その空気感はまさしく当時の浅草を表しているようで、それはつまり「粋」なのではないかと私は感じた。

 また、ビニールの城の台詞は言い回しは独特だがとにかくテンポがよく、ともすれば内容が頭に入らなくても仕方がないようなリズムでポンポンと会話が進んでゆく。そこは勿論プロの役者たちだから、そのテンポの良さを存分に生かして観客の脳にすっと台詞を染み込ませてくれるのだが。
 それは役者と役者のやり取りだけでなく1人の長台詞でも同様で、特に好きな長台詞は2つ。朝顔が3人の腹話術師たちに自分たちの芸風を説明する台詞と、ゴーグルと水泳キャップを身につけ人形に語りかける台詞が非常に"粋" な言い回しとテンポだった。とにかく小気味いい。トントンと進んでいく言葉たちは台所でキャベツの千切りをしているかのようで、ずっと聞いていたくなるような心地よさを纏っていた。

 ビニールの城の言葉の使われ方で最も好きだったのが、抽象的なものを抽象的なまま言葉にしてくれるところだった。それを後から説明することもなく、なんだか綺麗だけど分かるような分からないような、"感じる"言葉を使う。"理解する""咀嚼する"のではなく、"感じる"言葉。それは文字を読む行為よりは絵画を眺める感覚に似ている。例えば、
「いつも放ったきらめきでのぞけば、ここはやはり塔の上です」
というモモの台詞は私が最も好きな台詞であり、最も意味が理解できない台詞でもある。水面がビニールの塔の上、という言葉は劇中で度々登場するが、私はこの言葉が全く理解出来ず、だが解釈したくないと心が拒むため咀嚼することもできないのだ。分かるような分からないような、ぼんやりとしか意味は伝わってこないけどなんだかきらきらしていて、心にすっと入り込んでくる。ビニールの城は、そんな言葉ばかりだった。

 

森田剛のこと〜
■歌について
 私の中には、アイドル森田剛のファン(以下剛担:森田剛担当の略)である私と役者森田剛のファンである私が同居している。森田さんの映画や舞台を観るときは、基本役者森田剛のファンである私で観ていて、時々剛担の私が顔を出すといった感じだ。この歌のときは正に、剛担の私が飛び跳ねながら表に躍り出た。何故なら森田剛の歌声が好きな私は剛担の私だからである。
 森田さんの歌は、音を当てていくように発せられ、一音一音が分離している。その一音一音、一文字一文字を真っ白い手拭いで包んだような優しい響きが彼の歌声の特徴で、それらは森田さんの手で丁寧に置かれたり、ぽとりぽとりと落とされたり、控えめに優しく差し出されたりする。これは曲によって様々だ。
 観に行くまで極力情報をシャットアウトしていた私は、当然のことながら森田さんが歌うということすら知らなかった。そのため、突然森田さんが歌い出したときには剛担の私が驚きに心臓を止めている横で役者森田剛を好きな私が歌声の切なさに胸を締め付けるというとても忙しい状態に。ビニールの城での歌声は懐かしさと切なさと後悔とが混ざり合っていて、落ち葉を巻き上げる風みたいな歌声だった。思い出してはセンチメンタルになってしまうような、そんな歌声が脳みその裏にこびりついている。

ヒメアノ〜ルを観てきました(ネタバレ有)

 ヒメアノ〜ルを観てきました。主演である森田さんが自信を持って薦める理由がわかったような気がします。

 以下ネタバレを含む感想になります。まだ観てない方は読まないでください。是非前情報0で観てください!









!ネタバレ含感想!

 今回こうしてはてなブログを使って感想を書きたいと思ったのは、感情を整理したかったのと、様々なシーンや表情が鮮明に残っている今のこの状況を残さずに寝てしまうのが勿体無い気がしたというのが理由です。

◼︎観終わった直後
 切ない、というのが観終わった直後1番の感想です。なんだかとっても切なかったな。
 観ている間はあんなにもずっと緊張し続けていたのに、最後の数分で全てを抜きとられて、映画館を出るときにはプラスの感情など一つもないのに、不思議と体と心が軽かったです。多分、最後の回想シーンがあまりに普通で、ありふれた光景で、優しかったからだと思う。あの優しい記憶で、森田くんの殺人を見せられていたときの遣る瀬無い思いは、違う方向への遣る瀬無さにシフトした気がします。
 空っぽにされて、直後は本当に言葉も出ずただボーッとしながら映画館を出ました。
 電車に乗っている間も、公開自慰をさせられているときの全てを諦めた顔と、お母さんを呼ぶ無邪気な声色と後ろ姿とが頭から離れなくて、情緒がぐちゃぐちゃになりました。

◼︎森田の殺人シーンについて
 森田の殺人シーンの中で一番印象に残っているのは警察官を殺すシーン。
 森田が殺人をしている場面って結構アップであることが多くて、安定したカメラワークで全体がうつっていたのはもしかしたらこれだけだったかもなと思います。わからないけど。
 警察官を刺している間森田は足をピンと伸ばしていて、とにかく必死で、運動神経がいいわけではないのだろうなという動き方でした。それが妙に森田という男を表しているようで、あの細く運動も出来なさそうな男が、殺すという目的のためだけに動くとあれだけ脅威となるのかと、背筋がゾクっとしました。

 それと、これは観ているときには気付けず後から気付いてゾッとしたことなのですが、森田が途中、ある夫婦の家に侵入して殺したシーンがあって、何故彼等は殺されたのだろうと疑問に思っていました。他の人たちと違って動機を理解できなかったのです。
 この殺人を振り返ると、旦那が家に帰ってきたら知らない男(森田)がカレーを食べていて、ふとソファの影を覗くとそこにはレイプされた妻の死体があり、逃げようとしたところを殺される。何日後なのかは分からないがその家で睡眠をとっているところに警察官が訪れ、怪しむ警察官にバレバレの嘘をついていたら肉塊を入れた袋が見つかり包丁で刺す、といった流れだったと思います。
 警察官含め他の人たちには見られたから、殺されそうになったから、情報を聞き出したかったから等の理由があったのに、この夫婦だけはどうして殺されたのかわかりませんでした。
 なので、映画を観終わって、帰宅してからふと理解してしまって、うわ!こわ!と思いました。お金がない中で性欲、食欲、睡眠欲の三大欲求を満たしたのか、と。
 勿論映画を観てすぐに理解した人もたくさんいたと思うのですが、私は時間差でその事実に気付いたので余計にぞわっとしました。

◼︎小休止:ユカについて
 ユカの絶妙なうざさ、最高だったなぁ。安藤さんという気持ち悪い人に好かれてしまっているということにもあまり同情できないぐらいには彼女もとても人間的で、この映画に登場する人物たちの人間臭さが、森田の普通なのに普通じゃない気味の悪さが際立たせたのだろうと感じました。
 ただ、森田がユカに執着していた理由だけは知りたかったかな。ユカへの執着の理由に岡田の存在は関係ないんですよね。岡田がユカと知り合う前から森田はユカをストーキングしていたから。ユカがこの映画における森田のバイオレンスなシーンの発端であり元凶であるから、その部分の説明が無かったことで少し映画に入り込むのに時間がかかったかなーとちょっぴり思いました。

◼︎あなたの涙はどこから?私は犬から
 当然のことながらここについて話したくてこの記事を書きました。
 ヒメアノ〜ルでは、この作品を観て泣かない人もたくさんいただろうし、泣くにしても泣きそうになるタイミングが人それぞれだったのではないかなぁと思います。
 ヒメアノ〜ルは観た人に与える感情がきっと多様で、この記事を読んでも共感しづらい、ピンとこない人はたくさんいるだろうと思います。それぐらいに複雑な気持ちにさせられる映画でした。
 窓から落ち、車に岡田を押し込み逃走した森田。岡田に言われた「森田くんなんでそんな風になっちゃったの?本当の森田くんはもっと優しい人でしょ」という言葉に激昂して後ろを振り向き岡田の腿を刺した後、運転するため前に視線を戻したら道路の上に白い大型犬と飼い主が立っていた。森田は咄嗟に避け、壁に突っ込んで大怪我を負う。
 私はこの、犬を避けた瞬間に、涙がボトボトと溢れ落ち止まらなくなりました。あれだけ人を殺し、刺した男の頭も平然と轢いて行く森田が、犬を轢きそうになって、"咄嗟に"ハンドルをきった。
 岡田の「森田くんはもっと優しい人でしょ」という言葉の直後だったのもあって、頭を打った後に15歳の森田と混濁したのが岡田の言葉とラストシーンに出てくる犬の記憶によるものなのかもしれないということも合わせて。
 森田のもとはあった筈の純粋で無垢な優しさが、それが踏みにじられ、踏み荒らされ、捨て去られて自らぐちゃぐちゃにしたであろう悲しい過去と共に突きつけられた気がしました。
 森田を生んだのは結局は森田自身で、決して共感なんて出来ないし、そうなった過程や事情は結局はっきりとは分からなかったけれど、ただのよくいる普通の、本当に普通の高校生だった森田がこうなってしまったのだという事実が切なくて、只管に遣る瀬なかったです。
 ゲーム返さなきゃ、お茶出してあげて、またいつでもおいでよ、って、ありふれた幸せな日常の一コマなのに、こんなに遠い。
 初めて話した時の会話で、岡田も森田と同様に高校に上がってから初めて話したのが自分なのだと知ったときの、恥ずかしそうに嬉しそうに笑う声に、他人が聞いたってこんなにも愛おしく感じる幸せな日々がこんな風に変わり果ててしまったのが哀しくて、切なくて。
 「岡田くん、またいつでも遊びに来てよ」と言って笑う森田の表情に、あぁ、森田はこんな顔をして笑う子だったのかと。岡田が、今までの森田のことも、これからの森田のことも、全部を一旦しまいこんで「うん」と頷いたことに、ほんの少しだけ救われた気持ちになりました。私がね。
 あの幸せな世界に生きていた森田くんをどうして守れなかったのかと悔しくなってきました。遣る瀬無いな。


 最後に、「このシーンのためにやりたいと思った」という森田剛さんの気持ちが痛いほどわかったし、このシーンのためにやりきってくれてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 ヒメアノ〜ルを観られたVファンの方々の感想、心待ちにしております。

 それでは長々とお付き合いいただきありがとうございました。