よしなしごと

V6に関する言いたいことを言ったり言わなかったりします

剛担による『ビニールの城』所感

※ネタバレを大いに含みます

 驚くほどに進まないので、まとまったら書き足していく方式で参ります。ので、これからガンガン書き足されていくと思いますが悪しからず。

 感じたことを感じたままに、"抽象的なまま"を心がけておりますので雰囲気で感じとってください。抽象的なものに対する議論も大好きなので気になって夜も眠れないような表現がありましたらどうぞTwitterなどでお気軽にお声をおかけください。

 

■はじめに
8/9、2階立ち見、上手側
8/23、中2階上手側端の方
 で、計2回観てまいりました。立ち見の方は上手側3分の1程が見えず、今思えばあまり物語に入り込む事はできていなかったかもしれません。まあ立ち見だし、1回目だったので空気感を感じつつエネルギーを感じつつといった感じ。今日行きました中2階のお席は少し乗り出せば大体全体を見ることができるぐらいの位置で、且つ舞台がとても近いという、席運が死ぬほど悪い私にとっては神席とも言えるほど。勿論乗り出しはしませんでしたが。すごかったのは、森田剛の表情の芝居を見れたことと、その口からその声が発せられている様子を肉眼で見れたこと。それだけであっという間に物語に入り込めました。これだけ近いというのに、立ち見のときよりずっと、目の前にいる人が森田剛であるということを忘れていました。
 と、ここまでは皆さんに向けて。これから先は思ったこと感じたことをだらだらと書いていく独り言のようなものになりますので敬語はなくなります。

 

 

〜ビニールの城のこと〜
■言葉について

※台詞などは『悲劇喜劇』(早川書房,2016年9月号)より
 唐作品を観るのは初めてだったため知識は皆無で、アングラもほとんど観ないため、アングラとはどういうものだといったことも全く知らない。そのため当たり前だと思われることも言うかもしれないが、寛大な心で受け流して欲しい。ビニールの城単体で見たときの所感を書き綴っていく。
 ビニールの城は言葉遊びが多いなという印象を受けた。言葉遊びというか、遊びみたいに軽快で妙な面白い言い回しというか。例えば、分かりやすいのはカミヤ・バーでの引田と朝顔の会話。
「話がとり込んでいるので。」
「でも、雨は降っていませんから。」
「え?」
「べつに、あわてて、取り込まなくてもいいんじゃないでしょうか。過去の洗濯物は。」
このような言葉遊びと、文章からも伝わる淡々とした言葉のリズムはどこかシュールに掛け合わされて、独特な空気感を作り出しているように思う。その空気感はまさしく当時の浅草を表しているようで、それはつまり「粋」なのではないかと私は感じた。

 また、ビニールの城の台詞は言い回しは独特だがとにかくテンポがよく、ともすれば内容が頭に入らなくても仕方がないようなリズムでポンポンと会話が進んでゆく。そこは勿論プロの役者たちだから、そのテンポの良さを存分に生かして観客の脳にすっと台詞を染み込ませてくれるのだが。
 それは役者と役者のやり取りだけでなく1人の長台詞でも同様で、特に好きな長台詞は2つ。朝顔が3人の腹話術師たちに自分たちの芸風を説明する台詞と、ゴーグルと水泳キャップを身につけ人形に語りかける台詞が非常に"粋" な言い回しとテンポだった。とにかく小気味いい。トントンと進んでいく言葉たちは台所でキャベツの千切りをしているかのようで、ずっと聞いていたくなるような心地よさを纏っていた。

 ビニールの城の言葉の使われ方で最も好きだったのが、抽象的なものを抽象的なまま言葉にしてくれるところだった。それを後から説明することもなく、なんだか綺麗だけど分かるような分からないような、"感じる"言葉を使う。"理解する""咀嚼する"のではなく、"感じる"言葉。それは文字を読む行為よりは絵画を眺める感覚に似ている。例えば、
「いつも放ったきらめきでのぞけば、ここはやはり塔の上です」
というモモの台詞は私が最も好きな台詞であり、最も意味が理解できない台詞でもある。水面がビニールの塔の上、という言葉は劇中で度々登場するが、私はこの言葉が全く理解出来ず、だが解釈したくないと心が拒むため咀嚼することもできないのだ。分かるような分からないような、ぼんやりとしか意味は伝わってこないけどなんだかきらきらしていて、心にすっと入り込んでくる。ビニールの城は、そんな言葉ばかりだった。

 

森田剛のこと〜
■歌について
 私の中には、アイドル森田剛のファン(以下剛担:森田剛担当の略)である私と役者森田剛のファンである私が同居している。森田さんの映画や舞台を観るときは、基本役者森田剛のファンである私で観ていて、時々剛担の私が顔を出すといった感じだ。この歌のときは正に、剛担の私が飛び跳ねながら表に躍り出た。何故なら森田剛の歌声が好きな私は剛担の私だからである。
 森田さんの歌は、音を当てていくように発せられ、一音一音が分離している。その一音一音、一文字一文字を真っ白い手拭いで包んだような優しい響きが彼の歌声の特徴で、それらは森田さんの手で丁寧に置かれたり、ぽとりぽとりと落とされたり、控えめに優しく差し出されたりする。これは曲によって様々だ。
 観に行くまで極力情報をシャットアウトしていた私は、当然のことながら森田さんが歌うということすら知らなかった。そのため、突然森田さんが歌い出したときには剛担の私が驚きに心臓を止めている横で役者森田剛を好きな私が歌声の切なさに胸を締め付けるというとても忙しい状態に。ビニールの城での歌声は懐かしさと切なさと後悔とが混ざり合っていて、落ち葉を巻き上げる風みたいな歌声だった。思い出してはセンチメンタルになってしまうような、そんな歌声が脳みその裏にこびりついている。